約30年間、時間が止まったままの公園に未来へ続く柱を建てる

燕三条駅と三条・燕インターに挟まれた場所に広大な土地があるのはご存知でしょうか? 『須頃郷第一号公園』と呼ばれるこの場所は、広さが約16,500㎡、東京ドーム1/3程度もの広さがありますが、雑草が生い茂っているだけの状態がおよそ30年間手つかずのままになっているのです。この公園の開発が難しいのは、公園の中に三条市と燕市の境界線がひかれていること、法的な問題で簡単に大きい建物を建てることができないなどさまざまな事情が複雑に絡み合い、解決の糸口を見つけられないまま長い年月が経ってしまっています。そこで〈社会課題解決委員会〉の2つ目の事業として、この公園の課題に着手することにしました。

しかし少ない予算と時間でできることは限られています。そこで直接的な解決にはならずとも、まずはその存在を市民に知ってもらうことを目的として、燕三条にふさわしい金属製の文字看板を設置することにしました。ちょうど三条市と燕市の境界線を走る公園なので、文字は”燕三条境界線”としました。ただ文字看板を設置するだけでは面白みが無いと考え、それぞれの文字を縦に半分に分割。前後位置をずらし、微妙な角度をつけ、あらかじめ定めた場所に立たないと文字がはっきりと浮かび上がってこないような仕掛けを施すことにしました。文字が読める場所は、ちょうど桜並木のど真ん中。春には桜を楽しみつつ、ついでに看板を写真に収め、「ところでこの公園はなんで何もないんだ?」と思い浮かべてほしい、という願いから「フォトスポット事業」が本格的にスタートしました。

 

この事業は何度も練り直しが行われ、企画案が固まって理事会に提出、承認されたのが年明けの1月下旬でした。承認後、文字看板をデザインするチーム、土木計画を立てるチーム、注目を集めるためののぼりを制作するチームに分かれて、作業を開始しました。特に神経を使ったのは文字看板の製作でした。見やすいフォント種類選び、草が生い茂ってもしっかりと看板を見ることができるような高さになるように看板位置を調整しました。支柱を建てる作業も本格的な土木作業さながら、ぬかるんだ粘土質の土を60センチほど掘り、支柱ブロックを入れてコンクリートを流し込んで1本ずつミリ単位で調整しながら建てていきました。そして予定よりも3日遅れの3/5(火)に全ての支柱建設が完成しました。金属製の看板製作から一連の土木作業まで、ほぼ全ての工程で青年部所属メンバーが担っているのも、多種多様なメンバーが揃う三条YEGメンバーの側面を垣間見ることができたと思います。


来賓として三条市長、燕市都市整備部部長、燕YEG会長、三条市立大学の学生(注 をお招きし、3/9(土)に完成記者会見を実施しました。来賓の皆さまから一言ずつご挨拶を頂いたのち、現地にて全員揃って記念撮影。そしてそれぞれが公園内を歩いてみたり、燕市側にそびえ立つ記念碑を見上げるなど、思い思いの行動をとっていたのが印象的でした。


この事業は企画案の決定が遅くなってしまったことが響き、2つの事業を同時進行する上での計画性の甘さを感じました。最終的には三条YEGの個々メンバーの大きな助けを借りて実現できましたが、社業においてもひとつのプロジェクトだけを動かすということはないはずです。事業を並行して行う上で限られたリソースをどう配分していくか、などさまざまな気づきが得られた事業でした。

社会課題解決委員会 委員長 笠井誠
(注 同年1月に行われた三条YEG事業「学生ビジネスコンテスト」にて、須頃郷第一号公園の開発プランを提案した学生のうち1名に参加して頂きました。

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